子どもからシニアまで、さまざまな世代を対象にアートについてのレクチャーやワークショップを行っていて感じることがあります。講座などでも最近よく話しているのですが、アートと人の関わりをライフサイクルの中で見ると、M字曲線を描くのではないか?ということです。
つまり、子ども時代など人生の初期段階と、中高年以降の時期において、アートとの関わり度が高くなり、その間の時期(いわゆる青年期・壮年期)に関わりが薄くなる人が多いのではないか、ということです。


誰しも人生の諸段階の中でも特にアートとの親和性が高まる時期というのがあります。個人差はありますが、一般には概ね次のような時期ではないでしょうか。

①幼少期―自由で内発的な表現(巧拙意識しない)
②青年前期・思春期―芸術への感度高まる
③中年期―人生の転換期・再構築期、様々な転機(仕事・子育て一段落、心身の状態の変化、親しい人との別離等)に際してアートに意識的に(再)接近
④成熟期―鑑賞力の深化、青年期とは異なる芸術への感度の活性化


①は、自発的・内発的な表現欲求をもって、上手下手や他人の評価など気にせず、絵を描いたり、歌ったり踊ったりするような時期です。まだ幼稚園に行くか行かないか、ぐらいの幼い子どもが一心不乱に絵を描いていたり、自分オリジナルの詞や節回しで歌のようなものを口ずさんでいたり、それに合わせて体を動かしていたりするのを見るのは、大人にとっても幸福なひとときですね。これらの行為や産物を厳密に「アート」と呼ぶかどうかはさておくとしても、表現との関係という点ではもっとも幸せな時代かもしれません。

こうした「幸福な時代」は永続せず、早晩上手下手を気にし始めたり、他人との比較の中で自分の技術や適性を意識するようになります。小学校に入ったあたりからそれは強まっていきますが、それでもだいたい10歳頃までは割合に自由に、あまり臆さず表現をするようです。しかし、小学校高学年ごろになると、特にそうした分野が得意な子以外は、次第に遠ざかっていきます。たとえば絵の上手い子はますます熱中し上達するかもしれませんが、そうでない子はだんだん描かなくなり、中には非常に強烈な苦手意識をもつようになります。

いったん自意識が芽生えると、幼少期のような無邪気は表現はできなくなります。が、少し成長して②の時期になると、別の形で芸術との出会いを経験することがあります。絵を見たり音楽を聴いたり小説を読んだりして魂を揺さぶられるような経験をするのは、たいていこの時期ではないでしょうか。感受性のアンテナが鋭敏になり、自分は表現の「主体」でなくても、表現されたものに対して眼が開かれ、また自分なりの表現活動を始めたり、アーティストやミュージシャンになりたいと夢みたりすることもあるかもしれません。自己確立のプロセスにアートが何らかの形で介在する時期、M字曲線の第1の山場をなす「アート適齢期」かもしれません。

その後、20~30代ぐらいの時期は、多くの人がもっともアートから縁遠くなる時期ではないかと思います。たいてい仕事や家事や子育てなど社会的な役割に忙しく、休みもあまりなく、目の前のタスクを日々こなすのに精一杯で、正直「アートなんか」見ていられない時代です。アートやクリエイションを生業とする人を除けば、一般にもっともアートとの関わりが希薄になるのが、人生の中核期ではないかと思います。これは自分自身を振り返ってもそうなのですが、私はずっと美術史の講師をしていたのでアートと全く無縁であったことはないものの、それはあくまで「仕事」であったからです。展覧会にしても仕事に関係あるから行く、という意識の方が強く、義務感が先行していたように思います。逆に言えば、「仕事」でなければ、好きであってもほとんど行くことはなかったかもしれないのです。現に、学生時代それなりに熱心にやっていた音楽からは全く遠ざかってしまい、40代に入ってひょんなきっかけから再開するまで、コンサートはおろかCDを聴くことも、楽譜を開くこともほとんどないまま十数年を過ごしました。ある意味で少し残念なことではありますが、ともかく人生の中核期はアートM字曲線の谷間の時期といえそうです。

そんな様相に変化が現れるてくるのがミドルエイジでしょう。③は、子育てが一段落したり、仕事の上で立ち位置が変わってきたり、自分自身の心身の状態にも変化が出てきたりする、人生の転換期です。そして、ここがアート接近の後半の山場の始まりと言えそうです。私自身まさにミドル真っ只中の世代ですが、周囲の友人たちを見回していても、40代にさしかかる頃からクリエイティブな活動に接近していく人は少なくないようです。もともと好きだった人は青春カムバックでしょうし、それまで全く無関心だったのにむくむく絵や音楽に興味が出てきて、熱心に見に/聴きに行くようになる人もいます。中には「どうして今まで目を向けてこなかったんだろう」「もっと早くから触れておけばよかった」という思いを抱く人もいます。かつてイヤイヤ習わされていた音楽や苦手でしかなかった絵に触れることが、喜びや楽しみに変わる時期。さまざまな人生経験を経て、アートが新たな意味をもち始める時期なのだと思います。

そして、シニアエイジ。再び接近したアートとの関わりがさらに深まり、第2のピークを迎えるのが④の時期だと思います。さらに人生経験を重ねて、鑑賞眼も深みを増します。また、義務的、社会的な役割の比重が下がり、新たな生きる意欲や人生の意味を見出すのに、創作活動が助けとなることも多いようです。

近年、一般の方々を対象に美術についてレクチャーや展覧会ナビをする機会が増えてきました。受講者の多くはリタイアされたシニア世代の方々ですが、皆さん食い入るように話を聞き、せっせとノートを取り、質問にこられます。ずっと好きだったという方もおられますが、今まで知識も関心も全然なかったという方、関心はあっても実際にはほとんど接することなくきたという方もまた少なくありません。10年ほど前、初めて市民講座の講師をした時、その熱気と向学心の強さに圧倒されました。長らく工業系の大学でも美術史を教えていましたが、残念ながらこれほどの熱意をもって学ぶ学生にお目にかかったことはありません。シニア世代のモチベーションの高さには心から敬服の念を覚えずにはおれませんし、アートが人生の最終ラウンドに豊かな実りをもたらすのであれば、これほど嬉しいことはありません。

アートというのは、かなり幅の広い概念ですが、生業としてその表現や研究に携わる一部の人以外には、実生活においてあまり縁のないものです。その存在理由も決して自明とはいえず、それゆえに教育の位置づけにおいても、公的な予算の配分においても、つねに脆弱な基盤しかもちえない分野です。もちろんアートはそれ自体のために存在するという(近代的な)考え方はありますが、アートに関わる者として、やはりアートの意義や役割について全く無関心でいることもできません。そうして日々模索、自問する中で、やはり喜びをもってアートに出会い、楽しむ人々が現にいるということは、私自身にとっても大きな喜びの源泉となります。そう、「喜び(Joy)」ということにアートの本質があるのではないかと思う今日この頃です。